自分史−基本孤独だった私の半生−

採用率がどん底だった就職氷河期世代、現在障害児のいる専業主婦です。診断してませんが、おそらく私自身ASDグレー。場面緘黙もあった?そんな基本孤独な半生を送ってきた振り返りブログです。

衝撃の宣告

大学病院で成長ホルモンの値を調べるため、血液検査をした

 

3ヶ月後に来院するよう言われたのだが、帰宅後に病院から電話が

 

気になる点があるので、1週間後に来てほしいとのこと

 

至急行くことになったわけだが、特に重く捉えてはいなかった

 

 

病院で衝撃の事実が伝えられる

 

血液検査の結果から進行性の難病の可能性が考えられるとのこと

 

目の前にいるのは、発達は少し遅いが普通の赤ちゃん

 

まさかそんなはずはないだろう、と思いたいところだが、血液検査の結果がかなり悪かったので、疑いの気持ちはなく、むしろすぐに確信へと変わった

 

専門の病院でないと、確定検査ができないため、そちらの受診を勧められた

 

当時、その病院の名称に「障害者センター(仮名)」という文字が入っていた

 

今日、この宣告をされて、私は障害児のお母さんになる

 

普通のお母さんにはもうなれない

 

普通のお母さんとの間にすっと一線を引かれた気がした

 

もうそちら側には行けない、行くことはない